日本大阪万博短評

万国博は大にぎわいのようである。私は友人の小松左京の案内で開幕前に少しのぞいたし、開会当日はある雑誌社の取材で見物した。その日、空中ビュッフェ一番乗りをこころみたが、あとで他の場所のそれが事故をおこしたと知り、冷汗をかいた。
数年前にニューヨーク世界博を取材したが、その時の日本館はみじめだった。国内には好評の報道しか伝えられなかったが、実情は大恥の失敗作である。モントリオールの万国博は知らないが、見た友人の話だと日本館は宣伝臭が強くて、やはりあんまりいい出来ではなかったようだ。
それがこんどの大阪万博では、みごとに及第点。前二回の日本館を見ている外人が来たら、想像の何十倍というできばえに驚くはずである。この数年間の日本の繁栄の幅は、たしかにすごいものだ。毎日を日本ですごしている私たちにはさほど実感がないが、やはり発展は高速度だ。私が案内したノールウェー人は、極東でこんなことがなられている事実を信じられないような表情だった。

それにしても万博の入場者は連日相当なもののようだ。行列と忍耐ということらしい。そこで気づくの、なぜ各パビリオンも人間を館内へ導入する方式でなくてはならなかったのかの点だ。入場料を取るのなら、無料見物防止のために館内陳列の意味もある。しかし、パビリオンはどこも無料。無意味な混雑。館内有料時代の先入観のなごりが出てしまったわけである。
無料時代には閉鎖空間の必要はない。解放空間にむけてデパートのショーウィンドー形式にすべきであった。アポロ、ヴォストーク、月の石など、外部の広場にむけて飾れば、より大ぜいの人に見てもらえるはずである。といっても、目玉商品をえさに人びとを呼びこみ、愚にもつかむ国威発揚品をいやおうなしに見せるのが作戦だったとしたら、そうもいかないかもしれぬ。けちくさい精神を切捨てる決意は、人間にとってはユーモアやペーソスの復権以上に至難なことかもしれない。