軍歌と郷愁

<勝って来るぞと勇ましく>ではじまる歌詞の「露営の歌」という軍国歌謡がある。けじめにうるさい人の説によると、軍歌とは軍隊内で行事の時などに正式に歌うのを許されているもののことで「歩兵の本領」や「敵は幾万」のたぐいである。「麦と兵隊」のごとく、民間で作られ流行したものは軍国歌謡と称すべきものなのだそうだ。いまになっては、どうでもいいことのようだが・・・。
それはともかく、私の小学生時代にこの歌が大流行した。昭和十年代の初期である。レコードの売上げ新記録ができたという。おそらくこれは事実だろう。わが家でもその一枚を買ったのだから。当時は厳格な家庭が多く、わが家もそうであったわけで、流行歌のレコードを買うなど、とんでもない話だった。というわけで「露営の歌」はわが家で買った最初のレコードといえる。それも手回し式蓄音機にかけ、何度もくりかえし聞いたことを、いまでもはっきり覚えている。
名曲のせいだろう、この歌はいまだに生命を保ちつづけている。中年の人はこの曲を聴くと、さまざまな追憶がわきあがってくるだろう。なつかしのメロディーとなると、たいてい登場する。

最近あるテレビ局にリバイラル歌手によるリバイラル曲の番組があり、霧島昇がこれを歌っていた。前期のレコードに吹き込んだ歌手である。それを聞いて私は違和感をおぼえた。なぜなら、明るく勇壮な歌いかたなのである。そういえば私が少年の日にレコードに聞きほれた時、哀愁ムードはまるで感じなかった。これが原型なのである。
しかし私がふと口ずさんだり、中年の酔っぱらいが歌ったりする「露兵の歌」は哀愁の極、痛切にして悲しみに満ちている。戦意高揚の歌として出現したが、歌いつがれているうちに、いつのまにか戦いの悲しさが強調されてきた。霧島昇の原型にくらべ、だいぶ変化している。面白い現象である。
「コンバット」というテレビ番組の戦争映画があり、勇壮なマーチではじまるが、終わりには同じメロディーが悲しみをもってかなでられ、効果をあげていた。まったく戦争というもの、最初はいつも景気がいいが、終ったあととなると、むなしさのみがのこる。